【書評】『ぶらんこ乗り』 いしいしんじ 新潮文庫
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どうやらこの絵は、語り手である「私」の「弟」が描いたものであるらしかった。弟は4歳。なるほど、あのミミズのような線の絵にも頷ける。「私には弟がいた。とっても、とっても変わったやつ。でも私、あのこのことは大好きだった。ほんとにそう」。問題となった箇所は、高校生の「私」が、弟の昔のノートを開きながら幼少期を思い返す場面である。
弟はものすごく頭がいい。「おねえちゃんは器量よし、弟は天才」と、近所の人もうわさするほどだ。「私」は、歌の一節のようなその言葉が気に入らない。ばかにされたような気がして、「私」は奇天烈な行動に走る。けれど、弟の頭の良さは、「私」が一番よく知っていた。4歳の赤ん坊とは思えないほど、弟はたくさんの本を読み、言葉や知識をてんこもりで覚えていた。人の話を聞くのも上手だし、「私」が何か言うと、弟はしばらく考えるふりをして「おねえちゃん、それちょっとちがうんじゃないかな」なんて言ってくる。「そんなふうな弟が、でも、私、ひどくかわいかった。どれほど口ごたえするったって、それって結局、私のためにいってるんだってわかってたもの」
学校がつまらない「私」はある晩、弟にお話を作って聞かせてほしいと言う。わかったよ、と弟はちょっぴり嬉しそう。弟が作った最初のお話、「たいふう」。あの挿絵は、物語に出てくる「ひねくれおとこ」の絵だった。弟のお話を思い返すと、筆者は今でも目頭が熱くなる。「事故のずっと前、あんな幼いころからもうすでにあのこは、自分がこの世にひとりだけ取り残されたみたいに感じていたっていうんだろうか」
試験後、筆者はこの本を買い最後まで読んだ。弟と過ごした宝石のような日々、弟の声を奪った痛ましい事故、そして、あまりにも悲しい結末……胸を締め付けるほど切なく、愛おしい世界が読者を包み込む。この本を開くと、受験生だったあの日の自分を思い出す。そして、その度に聴こえてくる。なめらかで透き通った、失われたはずの弟の声が。
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